本日の聖書箇所は「イエス様の死」がテーマになっています。実に悲しい場面です。
しかし「この先、どうなってしまうのだろう?」と思っている方は少ないと思います。
もし、聖書がこのページで終わっていて「続きはまた、何年後かに発表します」と言われれば、気になって仕方がないのでしょうが、そうはなりません。
何故なら、私たちは、この後どうなっていくのかを書かれた「聖書」を手にしていて、先の展開を既に知っているからです。
本来なら、こういった出来事は「ネタバレ」といって批判されるべき事柄なのですが、聖書のネタバレはそうではありません。
では、私たちが先の話を知っているという事は、どういった意味があるのでしょうか。
本日は、十字架でのイエス様の死から見えてくる「聖書の成就とは何か」というテーマも合わせて一緒に考えて行きたいと思います。
(南 雅夫師)
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