マタイが福音書を記した時代、再臨のイエス様が直ぐにでもこの地上にやってこられると信じられていました。そしてそれは❝裁きの時❞審判が行われる時ですから、教会に集う人々は今か、今かと恐れを持って待っておりました。
天国(神の国=神様の支配の及ぶ国)は、十人のおとめがあかりを手にして、花婿を迎えに行くのに似ているといいます。そのとき「思慮の深い5人」は予備の油を備えていました。しかし「思慮の浅い5人」は備えていませんでした。こんな物語を聞くと我々は、備えた人は賢い、備えなかった人は不注意で愚かだといいます。そしてこういう賢い女性になりましょうという勧めをします。
聖書の世界はいわゆる❝男性社会❞です。男性の目線でこの物語を読みますと、いつのまにやら女性たちを「思慮深い」or「思慮浅い」かという上から目線でレッテル貼りをしているのに気付き、ドキッとします。もし、そのような目線で見ているとしたら、そのベクトルは必ずその人にも向いてくるということに気付かなければいけないことです。
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