『罪と律法のはざまで』 5月21日(日)

礼拝メッセージ

「内なる人としては神の律法を喜んでいるが、・・・肢体に存在する罪の立法の中に、わたしをとりこにしている。」キリスト者が生涯向き合わなければならない命題です。パウロがこのことでどんなに苦闘したことか、煩悩のほどが偲ばれる今朝の聖書箇所です。自分の心が、ある人を愛しその同じ心で別の人を疎んじる。この不誠実に悩む人も少なくないでしょう。キリスト者は時にこのような答えの出ない自己矛盾を生きなければなりません。しかしパウロは、答えは上に、天にあると言います。「主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」(7:25a)こう表現する以外ない答えがキリスト者には与えられているのです」。(聖書教育5月号)

聖書教育誌がこのように、学習テーマを提起しています。なにがしかの行いは、私たちの自らの表現であり、意思の表れです。罪の行いをする自分と、意思を持つ自分とは対立し、分裂して、争っています。意思と行いが分裂しています。

本日(5月21日)はローマ人への手紙7:7~25から牧師によるメッセージを聞きました。
その後、3グループに分かれてメッセージについて話し合いました。それぞれのグループで各々が思ったことを話し、活発な意見交換をしました。
今月から、毎週第3日曜日は「分かち合いの時」があります。

その後一週間遅れの”母の日”
男性陣がバーべキューの準備をしてくださり、みんなでワイワイと楽しくいただきました。

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