「『平和』を語る」

礼拝メッセージ

 「あなたがたはむなしいことを語り、偽りの物を見るゆえ、わたしはあなたがたを罰する」と主なる神様が語られるのは、イスラエルの預言者たちでした。「彼らはわが民を惑わし、平和がないのに『平和』と言い・・・」と、言われます。

 エルサレムが陥落し~バビロンへ捕囚されるという、厳しい現実のなかで平和の言葉を紡ぐのは困難な事だったでしょう。人々は、不安と恐れの中で平和のメッセージを求めていました。

ところがこのイスラエルの預言者たちは、恐怖の真実ではなく、嘘・偽りの平和を選びとり、語ったのでした。誰でもしんどいことは聞きたくないし、体験するのもいやです。 そんなイスラエルの人々に忖度したのでしょうか。

 このような誘惑はいつの時代にもあります。現状を直視することなく、目先の平和(平安)を求める。

 神様からの御言葉は常に心地よいものとは限りません。また、人々に喜んで歓迎されるものだけではありません。

神様の厳しい裁きの言葉に身を晒す。厳しい現実と対峙する。神様からくる希望が迫ってくるのです。

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