『あなたがたを愛したように』

礼拝メッセージ

 皆さん、おなじみの「ぶどうの木とその枝」のお話。このお話を読む度に気になるのが、「わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき(2節)」という言葉。自分はどうだろうと気になってしまう。しかしヨハネのイエス様は「あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている(3節)」と語ってくださっており、さらには「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と宣言してくださっております。

 農夫である父がぶどうの木を愛され、豊かな実りへ導かれたように、あなたがた(ぶどうの木)枝は木につながっていなければ、実を結ぶことができないのです。イエス様と連なるなかで、豊かな実りをなすことができる。離れては何一つできないと語られる。そのような大きな愛のなかに入れられています。

 父なる神がわたし(イエス様)を愛されたのと同じように、わたしはあなたがたを愛するのだと。愛するということは、愛されたように愛することができると思うのです。これまでわたしたちは、そしてわたしはどのような愛をうけてきたのでしょう・・・。

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