この詩篇147編は、「主をほめたたえよ」という言葉で始まり、この言葉で終わる形を取っています。そしてこの詩は、1~6,7~11,12~20節の3つの部分で構成されています。
宣教題を「しえたげられた者をささえ(6節)にさせていただきましたが、この詩人はその根拠として2~5節を考えていたかと思われます。この詩が書かれたのはバビロン捕囚以後のエルサレム再建の時と想定されるようです。
南王国ユダが滅亡し、エルサレムの人々は捕囚の民として、バビロンへ連行されました。それは神様による、背信への裁きでありました。神との関係を断ち切った彼らの追うべき当然の結果だったでしょう。70年近くの間、イスラエルの民はバビロンで❝神なき民❞として、生き、過ごしたと思われます。
しかし、この神は一人一人を忘れるような方ではありません。必ず覚えていてくださり、一人としておろそかにされる方ではありません。
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