「・・・過ぎてはならない」という言葉で伝道者が語ります義(正しい道理)と悪(愚か)の間にあって、どう選び取るのか?
このテーマを考えた時、芥川龍之介「或日の大石内蔵助」を思い起こしました。吉良邸への討ち入り後、幕府の沙汰を待つ間に思いを巡らす事柄を記しています。
主君の仇を撃ったとして、人々から称賛を受ける。それでよかったのか。家族など残された人々の事を考えると胸が痛む。討ち入りに不参加の人々は、両親など家族を大事にしたのだし責める気にはなれない(井上ひさし著「不忠臣蔵」参照)。
また、吉良邸の隠密によって、討ち入りの機会を伺っているのかどうか監視の目を欺くために、遊里で遊び回っていた自分に対して人々は、大石はそうやって吉良の目を欺き決して仇を打つ事を片時も忘れてはいなかったと、称賛をするけれども自分はすべてを忘れて遊び惚けている時はなかったのだろうかと恥ずかしむ・・・。
2つの思いの中で揺れ動く、大石内蔵助を描く芥川龍之介。❝2重構造性❞といわれ、様々な議論があるようですが。
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