バプテスマのヨハネは惑っていました。彼は弟子を遣わしてイエス様にたずね
るのです。『きたるべき方』はあなたなのですかと。ヨハネは『主の道を備える
』ためにメシアを指し示した人でした。そのために悔い改めのバプテスマをを施
していました。彼の教えには迫力がありました。「まむしの子らよ、迫ってきて
いる神の怒りから、逃れられると、お前たちに誰が教えたのか。だから、悔い改
めにふさわしい実を結べ。・・・斧がすでに木の根元におかれている。だから、
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」と語り、
さらに来るべき方は「箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、
からは、消えない火で焼き捨てるであろう。」と語っていました。
しかし、イエスはヨハネが思っていたような行動はされず、彼の耳に届くのは
取税人や罪人と言われる人たちと共に食事をし、安息日にいやしをなし、民衆の
中に入っていかれる。ユダヤ社会で呻吟している人々に寄り添い伴うという、こ
れまでのユダヤ社会の枠組みを超えている言動でした。そこでイエス様は「行っ
て、あなた方が見聞きしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足の不自
由な人は歩き、重い皮膚病にかかった人は清まり、聞こえない人は聞こえ、死人
は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。」と語られます。イエス様
によって起こされた様々な出来事に対して”あなたはどうみるか、捉えるか”とい
う問いかけを逆にヨハネに対してなされるのです。
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