イエス様の死後、お弟子さんたちを中心に❝共同体❞(教会)が形成されていきました。発足から2,3年後エルサレムのこの集団は、ユダヤ教の体制派から激しい打撃を受けることになります。ステパノの殉教(7章)とエルサレム追放です。 使徒行伝6章によると、ヘレニストのユダヤ人(ギリシャ語を話し、ヘレニズム文化に感化された人々) と伝統的なユダヤ社会の人々の間で、律法への取り組みの問題でかなりの軋轢が生じたようです。 前者のグループはエルサレムから追放されて、ピニケ(フェニキア)、クプロ(キプロス)、アンテオケ(アンテイオキア)方面へと散らされていきました。 彼らは律法に対して割と自由な人たちでしたから、散らされて行ったところでも自由に語れました。
コメント
お元気そうで何よりです。
私も妻も相変わらずです。
30年前みたいにひょっこり顔だして、温泉に行きたいものですね。
瓦そば食いたいなあ。