『平和に過ごす』 2020年7月5日
今日付けの『聖書教育』誌の「聖書の学び」の冒頭にこんな記事が書いてありました。『この箇所には5回も「兄弟たち」が用いられています(12,14,25,26,27)。このアデルフォスというギリシャ語を、聖書協会共同訳はひらがなの「きょうだいたち」と訳します。女性たちも含めようという翻訳努力を感じます。教会内で互いに兄弟姉妹と呼び合い、対等に挨拶を交わすという振る舞いは(5:26)当時の社会にあっては斬新でした。』(「聖書教育」7,8,9月号)
ギリシャ語には、αδελφήs(姉妹、婦人たち)という言葉があります。パウロがこの手紙を書いたとき、教会の女性たちのことが、彼の意識の中にはあったのでしょうか。このテサロニケの人口の多くが貧しい人たちと職人たちであったといいます。ピリピの教会のように、女性の”同労者”がいたとか、女性についてはふれられてはいません。また、女性たちがどれだけ、教会の業に仕えていたのかを示す言葉は出てきません。当時の教会での女性の立ち位置はどうだったのでしょうか?
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