『み手のわざを喜ぶ』

礼拝メッセージ

 この詩篇は表題によると、後のユダヤ教で安息日の礼拝に 用いられた。しかしこの表題は、後に付加されたもので、この詩の内容に直接には無関係である。

 この詩は感謝の歌や知恵の詩の要素をそなえた賛美の歌に近いが、賛美の歌の形式通りではない。

このように形式がくずれ、色々な要素が入っていることは、この詩が後代のものであることを、示すものであろう。

 この詩の内容に目を転ずると、一貫しているのは悪人の存在と神の義の問題であり、この点からも

この詩は後代のものであることを、想わせる。(関根正雄 ー詩篇注解ー)

 この詩人は、「不義を行う者」によってずっと苦しめられてきました。<恨みつらみ>を並べたくなるのが 私たちです。しかし、詩人はそうはしません。今も、まだまだ敵対する関係にあるならばそうしたかも知れません。しかし今や詩人は、<敵の没落を見・・破滅を聞き>そして神様の中にあり、全き平安を得ているのです。

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