『わたしたちの平和』

礼拝メッセージ

 エペソの教会は、アジア州の中心的な機能を有していたようです。この町は、

港湾都市だったようですから、人々の出入りもきっと多かったでしょう。

使徒行伝19:8-10の「パウロは会堂に入って、三ヶ月のあいだ、大胆に

神の国について論じ、また勧めをした。ところが、ある人たちは心をかたくな

にして、信じようとせず、会衆の前でこの道を悪しざまに言ったので、彼は弟

子たちを連れて、その人達から離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。それが二年間

も続いたので、アジアに住んでいる者はユダヤ人もギリシャ人も皆、主の言葉を

聞いた。」を読みますと、この教会もユダヤ人とギリシャ人(ユダヤ人以外)に

よる混成教会であったことがわかります。そうすると、当然、律法の問題が出て

来るはずです。ユダヤ教を母体としてできたのがキリスト教です。コリント人へ

の第一の手紙15:4「聖書に書いてあるとおり・・」と言えば旧約聖書のこと

ですし、生まれた時から慣れ親しんでいる律法の教えは、普段のあたり前のこと

でした。

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