『十字架を負うて』2021年2月21日 宣教

礼拝メッセージ

 フィリポ・カイサリアは、ローマの属州シリアに近いパレスティナの北端(ガリラヤ湖から北東約40㎞)に位置する町で、ヨルダン川の水はこの地に発する。BC20年、皇帝アウグストゥスはこの地をヘロデ大王に与えた。彼はここに皇帝のための神殿を建立している。のちにその子ヘロデ・フィリポは町を拡張し、皇帝(カエサル)に敬意を表してこれをカイサリアと名づけ、もう一つの同名の町(地中海東岸の港町、行伝8:40など)と区別するため自らの名をも付した。この町には皇帝を神格化して礼拝する神殿のほか、ギリシアの神々、とくにパン神を祭る神殿がありさらに古くはバール神祭儀の一根拠地であったと推定されている。イエスはこのような異教の自然神と政治的神々が群居する土地に赴いて、彼についての人々の意見を尋ね、さらに弟子たちの考えを問う。そしてイエスはメシアであるという答えが得られる。この場面設定には、少なくともマタイの構成では、今後ずっと教会が対決し克服していかねばならなくなる他の神々と真の神の子であるメシア・イエスとが対峙しているわけである。それは異邦人伝道を目指すマタイにおいて、教会が十分注視すべき自らの状況であり、まさにその地点でイエスへの信仰が披瀝されるのである。(新共同訳 新約聖書注解Ⅰより)

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