イスラエルの民は神への背信行為で、バビロン捕囚、エルサレム滅亡という裁きを受けました。
が、主なる神様はこのイスラエルの回復へと向かわれます。
まずはじめに、「汚れからの清め」をなされます。
これは礼拝を第1とすることであり、(礼拝対象者である)主なる神様を大事にすることでしょう。
さらに「偶像から清める」とかたられます。
偶像は最も神様を汚すことで、この「汚れ」は死を意味しました。これに対して「清める」ことは生かすことです。そこで神さまは「新しい心」と「新しい霊」を授けて、イスラエルの民の内面を変革してくださるのです。
さらにこのお方は、祝福の出来事(収穫)を並べられます。このような言葉を聞きますとき、❝良かった❞と喜ぶのですが、31.32節を読みますと、自らの罪を悔い、それを恥じて悔めと語られます。
確かに神様の恵み(赦し)は先行しています。私たちがうれしくなるような事を具体的に用意しておられます。そのことを前にして私(私たち)はどのように答えるかです。
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