「神の恵みをいたずらに受けてはならない」とパウロは語ります。このパウロが語る”恵み”とは何で
しょうか・・・。
ユダヤ社会では,伝統的な律法遵守という考えがありました。
パウロもユダヤ人として、この律法教育を受けて育っ
た人でした(ピリピ3:5~6参照)。律法に従い、それを行う。そうすれば神様の”救い”に預かること
ができる。ただこの人生を目指していくのですが、ゴールは見えません。
しかし、あの十字架につけられたイエス様が私に伴ってくださり、私の歩みを下支えしてくださる。
そうすると私たちは神の国へと導かれていく。
私の人生の歩みにイエス様が伴ってくださるということが、「今は恵みの時、今は救いの時」です。
キリスト・イエスが共にいてくださる、インマヌエルの事実(神われらと共にいます)がこのことです。
この喜びを多くの人たちと分かち合いたい。それがパウロの希望でした。
そのために彼は「神と共に働く者」として、自らの働きを語ります。その働きのために「ほめられても、そしられても、悪評でも、好評でも神の僕として使命を果たしている」といいます。
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