『堅く立って』2020年7月19日宣教

礼拝メッセージ

 テサロニケの教会では、この当時“主の日”が直ぐにでも来るということで、かなりの動揺や恐れがあったようです。「わたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても…(2節)」とありますから、偽名でこのような宣伝をする人たちもいたのでしょう。

 “主の日”(終末)には、私たち一人一人がイエス様の前に立たされて審判を受けるのです。このことで心動かされたり、あわてないようにと著者は勧めるのです。さらにだまされるなとも勧めます。そのとき人々の生き方は2つのパターンがあったようです。

 その裁きにそなえて、まじめに禁欲的に生きる・どのような生き方をしても、どんな“裁き”を受けるかわからないから、享楽的に生きて、人生しっかり楽しもう!

 人はだれでも裁きを受けると言われると、考え込んでしまいます。何が〇で、何が✕かと。具体的に裁きは言われても、その基準となるものは具体的に語られていません。また裁かれることはしていないといっても、気付かないものもあります。

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