第30年4月5日、エホヤキン王捕囚第30年(BC・568年)にエゼキエルはバビロンのケバル川の畔に、捕囚民の人々と共にいました。ここはユーフラテス川から引かれた運河で捕囚の民の祈りの場であったといいます。人々はここに集まり何を祈ったのでしょうか。
エルサレムの街は陥落し、神殿は破壊されて、イスラエルの民の心のなかにあったものは何だったのか先行き不透明な不安、諦め、失望などなど、きっとネガティブなことだったでしょう。
そのような中で、エゼキエルに幻が示されます。さらにあの方の声を聞きます。
「立ち上がれ」という召しを受けるのです。捕囚の民に遣わされ、神の言葉を取り次ぐ者として、❝立て❞と言われるのです。この民は「反逆の民」といわれ、預言者を迫害するであろう民たちです。
たしかに厳しい務めです。不安や困難が待ち受けていることは一目瞭然、容易に想像できることです。
しかしそれ以上にこの務めは、神様の❝赦し❞を語ることであり、❝解放❞の希望を語る使命です。
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